和「いけない二人」【未完】

 はじめに、屋上。

和「校内は禁煙ですよ、山中先生。」

 風の強い夏の日、絵の具をうすくとかしたような西の空を眺めながら屋上で煙草を吸っていた時のこと。
 写真におさめて残しておきたいほど綺麗な色の中を小鳥の群れがアクロバット飛行していた。

さわ子「あら、和ちゃん。」

 下の名前で呼ぶと彼女は呆れたように溜息をついた。
 真鍋和はすでによく見知った生徒だった。担当するクラスの子であるという以上に。
 教師たるもの、特定の生徒に対してだけ他とは違ったふるまいをするなんてあってはいけないことだと思う。それでも彼女や軽音部のばかたちは特別に気の置けない子たちだ。

 彼女も私のことをよく知っていた。
 綺麗でやさしいさわ子先生がふだん見せない顔、たとえば、放課後の屋上で隠れて煙草を吸うような不良であるところとかも、彼女をふくむ数名の前ではもはやさして隠す意味のないことだった。

さわ子「屋上は立ち入り禁止よ?」

 今さらではあったけれど、さすがに生徒の前で煙草を吸い続けるのは気がひけたので、冗談でごまかしながら火を消して携帯灰皿へとしまった。
 おまけに眼鏡の奥からとっておきのウインクまで投げつけてみた。

和「帰ろうとしたら煙が見えたので。誰か生徒が吸っているのかと思って。」

 案の定彼女はごまかされずに、あくまでまじめだった。
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さわ子「そんな悪い生徒はうちにはいないって。」

和「どうでしょうね。先生がこれだから。」

さわ子「大人は大変なのよ。」

和「健康と美容に悪いですよ煙草は。男性の印象もよくないそうですし。」

 いやなことをいうな、と思った。
 ちょうど三十分ほどまえに、付き合っていた男からの最後のメールを受け取ったばかりだったのだ。

さわ子「和ちゃんは男の子に興味ある?」

 沈黙すると動揺をさとられるのじゃないか。そう考えた私は、話題はなんでもいいからと話し続けた。
 それにしても間の悪いテーマだ。

和「さあ、べつに。」

 彼女と同じ年齢の私は恋愛のことばかり考えていた。
 今もそうじゃないのかといわれると、そうではないと断言はできない。
 高校生の私になくて今の私にあるものは、あきらめのよさ。
 振られたこと自体はさびしいが、こうしてお定まりの自暴自棄を演出して、一晩お酒でも飲めば忘れてしまえる。この別れは以前から予想していたことでもあったから。

 彼女はいかにも恋愛なんて興味がありません、といった感じの生徒だった。
 眼鏡のフレームみたいに、全身が軽金属でできた女の子がいるものだ。

さわ子「彼氏とかいるの?」
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 いそうにないな、と思いながらも試しに訊いてみる。

和「いません。」

さわ子「やっぱりねぇ。だと思った。」

和「それって失礼です。」

 自分でもそう思ったので、ごめんなさい、と謝った。

 いいですよ、と答える。

さわ子「独り身はさびしいわよ。あーあ、明日もきっと二日酔いよ。」

和「どうかしたんですか?」

さわ子「振られたの。ついさっき。やんなっちゃう。」

和「恋愛のこととかわかりませんけど、先生はきれいだから、すぐに良い人がみつかりますよ。」

 ふざけた風もなく彼女はいう。慰めようとしてくれてるんだな、と思うとおかしかったので、

さわ子「いっそ和ちゃんが付き合ってよ。」

 と言ってみた。
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和「先生が禁煙したら考えます。」

さわ子「え?」

 まじめにそんな答えが返ってくるとは思わなかった。

 心臓が5センチくらい跳ね上がった。

和「じゃあ、私帰りますね。屋上の施錠お願いします。」

 何食わぬ顔で堂々と退出する彼女の背中に「さよなら」の一言をかけるのも忘れて、その場所にそれから何分も立ち止った。
 その時はじめて、自分がずいぶん前から真鍋和という生徒に気をひかれていたことを知った。
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……

 とはいえ、彼女には意外とふざけたところもある。それに気付いたのは例の軽音部での集まりのことだった。


 屋上での出来事にさかのぼる初夏のこと。

 私は日曜日にりっちゃんに誘われてカラオケに行った。
 行った、というか、正確にはドライバー役をまかされたというのが実際だ。
 暇だったし(すでに恋人との仲は危うかった)下心があってのこととしても、顧問の自分まで誘ってくれたことはすなおに嬉しかった。

 途中でりっちゃんと澪ちゃんの二人を拾い、澪ちゃんの案内で新しくできたというカラオケ店へ向かう。

律「さわちゃん、おごってよ!」

澪「おい、ずうずうしいぞ。」

さわ子「いやよ。でも歌で私に勝てたら考えてあげる。」

律「ほんと? それなら楽勝だ。」

さわ子「あなたね。」

澪「先生、すみません。」
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 目的地に着くと、店先で他の子たちが待っていた。先に部屋を確保してくれていればいいのに。
 メンバーの中には唯ちゃんの妹の憂ちゃんや、軽音部とは関係のない和ちゃんまでいた。
 軽音部の集まりとはいうが、それは私を都合よく呼び出すまでの名目で本当はただの遊びだったのだろう。

 大人数なので比較的広い部屋に通された。それでも椅子のサイズは十分ではなく、ぎゅうぎゅう詰めで座った。
 一度立ったら二度と座れそうもない。
 室内は清潔で煙草を一本でも吸ったら真っ白な壁紙がよごれてしまいそうだった。
 そもそも禁煙ルームだ。高校生のグループなのだから仕方がないだろう。梓ちゃんなんか中学生に見られたかもしれない。

 それぞれ思い思いの曲を入れ、だらだらとした雰囲気だった。

 この子たちはきっと、自分たちの時間が永遠に流れると思っているのじゃないかしら。

さわ子「真鍋さんも何か歌ったら?」

 隣席の彼女が飲み物ばかり飲んでいたので、無理やりにリモコンを渡す。
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和「私はいいですよ聴いてるだけで。下手だから、恥ずかしいです。」

さわ子「だめよ、楽しまなきゃ。それにりっちゃんだって歌ったんだから。」

律「せんせー、それってどういう意味ですか?」

澪「そのままだろ。」

 じゃあ、と俯いて彼女はリモコンを操作する。
 間をおいて日本のロックバンドの曲が流れ始めた。

さわ子「あなた、この選曲ってわざと?」

 マイクを取って彼女は歌い出す。

 唯ちゃんが「いよっ、和ちゃん!」とはしゃぎ、憂ちゃんがあんまりリズムに合ってない手拍子をした。
 歌声はまずまずというものだろう。
 曲が終わると、彼女は悪戯気な笑顔で視線をよこした。

 このバンドの歌い手は「山中さわお」というのだった。

……
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 屋上での会話からしばらく変わったことはなにも起きなかった。
 ほんらい生徒との間に何か起きる方がおかしい。

 それでもホームルームや授業の時間、彼女のふとしたしぐさが、折々心にふれた。
 ひょっとして自分に目配せしたのでは、とか。
 授業中に教師の方を見るのは当たり前なのに。
 休み時間肘をついて考え事をしているのを見てさえ、自分について考えてくれてるのではないかと期待してしまう。
 自分のことながら、相当あぶない。

 朝目が覚めて、感じやすい子どものような自分を発見する。
 無性におかしかった。
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 同性にそういう関心を抱くことに疑問を持たなかったのは、高校時代の経験があったからかもしれない。

 バンドでギター兼ヴォーカルを務めていた私は、自分でいうのもおかしいが校内では目立つ方だった。
 そのためかいくにんもの生徒が、すこし恋文じみて、半分はファンレターであるような手紙をくれた。
 それは周囲に女の子しかいない女子高生の遊び半分の恋愛ごっこだったのだろう。

 けれどその中で一人だけ真剣にアタックしてきた子がいたことを覚えている。
 たぶん、控えめにいっても、あの子のだけは本当の恋だったのだろう。
 他に好きな人がいた私はその子の告白は断ったのだが、そういう縁でライヴの機会があるたびに彼女は楽屋まで足を運んでくれた。
 わずらわしく思うこともないではなかったが、自分を好きでいてくれる人間がいるということが嬉しかった。
 人懐っこくやわらかい性格の子で、姿恰好も真鍋和とはぜんぜん似ていないが、その子も眼鏡はかけていた。

……
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唯「さわちゃん、最近いーことあった?」

 かじりかけのラングドシャを振り回しながら唯ちゃんが訊いた。

さわ子「へ?急になによ。」

唯「最近なんか輝いてるよ。絶対なんかあったでしょ。」

紬「そういえば、最近の先生、ますますおしゃれになってきてる気が……」

さわ子「私は前からおしゃれよー。」

律「あー、ひょっとして、彼氏でもできた?」

梓「ちょっと、律先輩。」

さわ子「残念、はずれよ。彼氏とはついこないだ別れました。」

唯「ふーん。それにしては嬉しそうだね。」

……
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 夏休みの直前。軽音部の部室前の廊下。

さわ子「あら真鍋さん。どうしたの。」

和「先生こんにちは。ちょうどよかった、このプリント、軽音部の田井中さんに渡しておいてください。」

さわ子「私を小間使いにする気かしら。」

和「先生も目を通さなければいけない書類なので……よろしくお願いします。」

 ぺこり、と一礼をして、あわただしく引き返そうとする彼女の肩に手を載せて引きとめる。

さわ子「ねえ、私、なにか変ったことに気付かない?」

和「さあ。わかりません。」

さわ子「もっとちゃんと考えてよ。ヒントはにおいよ。」

和「そう言われましても……」

さわ子「香水じゃないわ。」

 彼女は沈黙して私の顔をまじまじと見る。じれったいなあ。

和「もしかして、煙草やめました?」
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さわ子「そ、正解!」

 思わず顔がにやけてくる。

 『先生が禁煙したら考えます。』

さわ子「忘れたとは言わせないわよ、こないだの話。」

 顔を真っ赤にしてあわてふためく彼女が見れることを期待したのだが、そうはならなかった。

和「じゃあ、これあげます。」

 といって、千切った手帳の切れはしを渡してくる。
 濃い青色のインクで携帯のメールアドレスらしきものが記してあった。

和「先生、さようなら。」

 真意を問いただす前に、真鍋和はクールに去って行った。
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 その翌日、今度は階段の前で彼女を待ち伏せした。
 来る保証はなかったが、彼女は来た。

和「そんなところに座ってどうしたんですか。」

さわ子「真鍋さん、今日はどうしたの。もしかして私に会いに来てくれた?」

和「別に、そうじゃありません。」

さわ子「いじわるね。私はあなたが来るのを待っていたんだけどなあ。」

和「じゃあ、私もそうかもしれません。」

さわ子「じゃあってなによ。」

 私は笑った。
 私たちは内緒話をするみたいに、声を抑えて話す。音楽室の中の子たちに覚られないように。

和「どうして昨日メールをくれなかったんですか。」

さわ子「してよかったの?」

和「当たり前です。」

さわ子「どんなメールを?」

和「先生って、性格悪いって言われません?」
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 薄暗くてよく分からないが、彼女の頬は今日こそ赤く染まっているのかもしれない。

 ようやく私は確信した。
 私たちは内緒の話をしているのだ。
 誰にも言えない話。

 携帯を取り出して、メールを打った。
 鈍いバイブ音が響き、あわてて彼女は携帯の画面を開く。


 『わたしのこと、好き?』


 すぐに返事が来た。


 『はい。』


 『私も和ちゃんが好き。』


 『うれしいです。』


 『私たち、付き合っちゃおうか。』


 和ちゃんは少し逡巡してから、自分の声で「はい」と答えた。
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……

 電話やメールがあれば、いつでも繋がっていられるというのは嘘だ。
 会えない間のメールは、その人がそこにいない事実を際立たせるばかりだから。



 和ちゃんというのはどういう子なんだろう?
 あの階段で付き合いはじめて以来、よく考える。
 一見してまじめ。クール。
 よく見てもまじめで、クール。
 ちょっととぼけて、おかしなところもあるみたいだけど。

 いったいこの子は、人と付き合うってことを何だと考えているんだろうか。
 あの日、彼女はひどく可愛く見えたものだけど、それからはなかなか隙を見せてはくれなかった。

 なんだか、おもしろくない。
 私はイライラしていた。
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 彼女は今、私の部屋で読書をしている。

 昼日中に界隈を出歩いて、二人でいるところを学校関係者に見られるとことだからという理由で、会いたくなったら彼女が私の家に来る。という約束が出来ていた。
 それは仕方のないことだし、いい。けれど、こうして恋人の家にやって来て、一人で本を読んでいるというのはどんな神経をしてるんだろう。

 クールなのもいいけど、もうちょっと恋人らしい時間の過ごし方ってのがあるのじゃないか、と思う。

さわ子「和ちゃん。」

 眼鏡をかけた横顔を見ながら、名前を呼んでみる。

和「はい?」

 和ちゃんは本を置くこともせず、こちらに顔だけ向ける。悔しいけどかわいい。

さわ子「むう。」

 私はこの不満をぶつけるべく、思いっきり彼女の顔を睨みつけてみた。
 さあ、どうだ。

和「あの、先生。顔が近いんですけど。」

さわ子「……。」

和「先生?」
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 敵はなかなか動じるようすがない。こうなれば持久戦だ。
 私はますます顔をしかめ、目元に力を込める。
 ぱちぱちと瞬きをしているのがはっきり見える。

 和ちゃんは何度目かの瞬きの後、読みさしの本に栞を挿しこんでテーブルに置き、それから再び私の方へ向き直った。

和「……。」

さわ子「……ちょっと。なんで目を閉じてるのよ。」

和「キス、してくれるのかと思って。」

さわ子「はあ?」

 なんでこういうこと言うかな。
 私の表情が見えてなかったんじゃないか。眼鏡の度があってないに違いない。フレームも下半分だけだし。おしゃれのつもりかもしれないけど、よく似合っててすてきだし、街中で男の目を引くかもしれないからやめてもらいたい。

和「してくれないんですか?」

さわ子「するに決まってるじゃない。」

和「よかった。」

 おもしろくない。
 何食わぬ顔で黙っておきながら、こういうことはしっかり要求するのだから。
 いいや、キスを奪うのは私の方。
 なまいきな女の子に大人のやりかたを見せてやるんだから。
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和「……なんだか今日はすごかったですね。」

さわ子「感想言うのやめてよ、恥ずかしいんだから。」

和「あら、先生でも恥ずかしくなるんですか?」

 こっちの台詞。

 顔色一つ変えないくせに。

さわ子「それ、いやみ?」

和「先生は、こういうこと慣れてるんじゃないかと思って。」

 和ちゃんは言いにくそうに目を伏せた。ひょっとして、嫉妬してくれてるのだろうか。だとしたらうれしい。
 なので、「そりゃあね」と自慢してみる。和ちゃんのクールの壁を崩せるのならどんな手段も惜しまない所存だ。

和「……私は、先生がはじめてなんですから、すこしは気を遣ってください。」

 見事に不満げに口を尖らせてくれたので、思わず私は噴き出しそうになった。
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さわ子「あなたかわいいわね。時々すっごくかわいくないけど、かわいい。」

和「私はまじめに言ってるんです。」

さわ子「今はあなた一筋よー。キスしていい?」

和「さっきしたじゃありませんか……。」

さわ子「何度してもいいでしょ。キスは一日何回までにするべし、って規則でもあるの?」

和「でも、なんだか勿体ない気がしません?」

 この子が普段なにを考えているのかまだよく分からないが、今はなんとなくわかる。これは冗談でなく本気で言っているのだ。
 キスなんて勿体ながってどうするんだろう。とっといた分はパックに包んで冷凍保存するつもりだろうか。私にはキスより、こうして一緒にいる時間が流れていくのが惜しい。もしそうできるのなら、この家ごと和ちゃんを閉じこめて、永遠に捕まえておきたい。

さわ子「バカね、惜しんでいたら楽しい時間なんてすぐに消え去っちゃうんだから。若い時間は短いのよ。」

 私はなにか言いかけた彼女の口を無理やりにふさぐ。

 きちんとキスに反応してくれるのがうれしい。かわいい。
 私は満足した。

……
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 それから、和ちゃんについて気がついたこと。


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1.くせ

 和ちゃんは、緊張すると眼鏡を拭く癖がある。

さわ子「最近どう?」

和「どうって、何がですか?」

さわ子「あなたね、こういう質問そんなふうに返されても困るわよ。」

和「はあ」

さわ子「勉強の具合とか、生徒会の仕事とか……」

和「いつも通りです」

さわ子「なんだかぎこちないわね」

和「先生と一緒にいるとどきどきして口がうまく回らないんです。」

さわ子「そういう台詞はもう少しどきどきしてそうな顔を作って言いなさい。……今日泊まってく?」

和「……どうしてですか?」

さわ子「どうしてだと思う?」

和「……。」

 眼鏡を外した。
 すこし困ってるようだ。
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2.冗談をこのむ

 これについてはちょっと困ってる。

さわ子「あー、海外行きたいわあ。ハワイとか。」

和「いいですね。」

さわ子「和ちゃんはどこか行ったことある?」

和「私帰国子女で、カリフォルニアで生まれたんです。」

さわ子「え!? 初耳よ、それ。」

和「と、言っても、向こうで暮らしてたのは三歳までですから、英語は喋れないんですけど。」

さわ子「へえー、なんかすごいわね。」

 これがまったくの嘘であった。
 どういう意図かわからないけれど、要は私を担いだらしい。

和「私の家と唯の家の付き合いも向こうで始まったんです。私たち、今でも年に一回くらい向こうに遊びに行くんですよ」

 そんな事実はない。

 これに類したことはたびたびあった。
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 曰く、

和「先生知ってますか? こういう市販のコラーゲンはカンガルーの肉から抽出されたものなんですよ。」


和「日本にはじめてギターが伝来したのって、戦国時代のことなんですよ。歌のうまい宣教師が聖書と一緒に持って来たんです。」


和「ケバブというのは地中海にすむ大型の魚で、焼くと美味しいらしいです。」


和「餡パンの『餡』ってフランス語で、本来はあの甘い餡子とは関係ないそうですね。」

 云々。

 あんな真面目な顔で話されては、どんな懐疑家といえどもその話の内容を疑いえないだろう。

 おちゃめな面を見せてくれるのは信頼してくれている証かもしれない。
 しかし、そろそろ私が彼女のことを信じられなくなりそうなのでやめていただきたい。

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